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ナルシシズムについて
2025年2月8日
当院ではパーソナリティ障害を扱っておりませんが、パーソナリティ障害の中核的症状である「ナルシシズム(自己愛)の不全さ」について記述します。ナルシシズムの成熟度は、社会適応や治療の進退を大きく左右する重要な概念であり、また患者さんの中には他者の自己愛の不健康さに振り回され疲弊している方も多く見られます。社会生活や治療の停滞・中断の際は、「ナルシシズム」を見直し、育み直すことを検討する必要があるでしょうし、被害を受けている場合は「相手の課題」と線引きして境界を保つ必要がありますので当記事をご参照ください(心理士中村の作成記事です)。
1.ナルシシズムとは
ナルシストという言葉は日常的にもよく使われますが、その起源は有名なギリシア神話の登場人物「ナルキッソス」からきています。ナルキッソスという青年は、泉の水面に映る自分の美しさに見惚れてしまい、自分の姿から目が離せず身動きが取れなくなり、終いには食べることも忘れてやせ細って死んでしまいます(落ちて死んだという説もあります)。
この物語からくるナルシシズム(自己愛)という概念は、精神医学・心理学でも多くの研究がされており、精神医学的にはパーソナリティ障害として診断されます。治療当初から診断されることもありますが、長引く不調や客観的事実に見合わない社会適応の困難さといった経過から診断されることもあります。
2.傷つきやすさ
「ナルシストって自分が大好きで羨ましい!」と思うかもしれません。しかし自分を好きでいることと自分しか好きになれないことは大違いで、後者の方が何倍も生きづらく苦しいです。なぜならナルシストの自己愛とは、現実の自分を見ているのではなく理想の自己像という虚像を見ているからです。自分だけが主人公の舞台ならいいですが、現実の社会はそうはいかずいろんな登場人物がいます。皆がそれぞれの背景をもって行動するため、自分にとって期待外れのことがたくさん起きます。すると健全なナルシシズムを持つ人は想像できないレベルで、ナルシストの人は傷つき、絶望を感じます。ただ生活するだけで、外に出るだけで非常につらいです。
「自分しか見えない」、「理想の自己像を追い求めすぎる」ということは、相手や外界の状況は「なきもの」になるということです。客観的事実(現実)に関係なく、自分が責められたと感じたら責められたということだし、バカにされたと感じたらバカにされたという解釈になります。思考は常に自分から自分へと一方通行なので、自分が無関係のことでも「自分のせい」と思う自己関連妄想が生じやすかったり、「自分の映り方」が非常に気になることで自己評価の重心が他人に映り、視線恐怖や対人恐怖などが生じやすくなったりします。自分の身体感覚や健康に過敏になり心気的になることもあります。
3.被害者意識
未熟な自己愛により自分しか見えなくなると、相手の都合に気づきにくかったり、自分への不満が外界に投影されるため、他者や外界は敵意に満ちたものに感じられていきます。すると「思うようにいかない!誰もわかってくれない!」という怒りや攻撃性がどんどん蓄積されていきます。パワハラ、モラハラを平然とできるタイプは相手を罵りふんぞり返っているので周囲もその不健康さに気づきやすく注意を払えますが、怒りや攻撃を別の形に変えて表出するタイプもいます。
例えば心理学に「受動的攻撃」という言葉があります。直接的に怒りや攻撃を表出することは自分のモラルや理想に反するので、一見キレイな形に変えて表出するのです。あくまで被害者の立場から「何もしたくない」「何もできない」「苦しくてたまらない」「つらい」と訴えたりします。「😡」より「🥺」のほうが受け入れられやすいでしょうが、怒りや攻撃性の強さは似ています。
4.ナルシシズムとどう向き合うか
アメリカの心理学者マズローの理論に「自己実現理論」というものがあります。人には生まれながらの5段階の欲求があるというもので、その最終段階に「自己実現欲求」があります。「自己実現」とは「成長!成長!」という熱いものではありません。「自己実現」とは、自分のコンプレックスや弱さや醜さを受け入れながらも自分らしくいる、今の自分ができることをするということです。そのためには、現実の自分のありのままの状態を理解し、今の自分の力でできることは何かを考える必要があります。傷つきはしますが、これまでの根源的な自己愛の傷つきよりはよっぽど楽でしょう。