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境界知能という見落としがちな視点

職場・学校で不適応を起こし、様々な精神症状を起こすことがあります。不適応を背景にした精神障害はおおむね適応障害として診断されますが、不適応を起こした背景をきちんと分析することが重要です。環境要因とともに本人自身の特性・性格・ストレス脆弱性の評価が必要となりますが、今回は、診療の中で、私自身も見落としがちな視点として「境界知能の問題」を考えたいと思います。

境界知能とは知能指数(IQ)の分布において「平均的とされる領域」と「知的障害とされる領域」の境界に位置する状態をさします。 平均的ではないが知的障害でもない、知能指数にしてIQ70以上85未満の状態のことです。統計上、全体の14%がこの「境界知能」に該当しております。割合としては比較的多く、ありふれているといっても過言ではありません。

境界知能と精神疾患には切っても切れない関係がありますが、主な問題点として以下のようなものがあります。

非常に分かりづらい、把握しづらい

境界知能を正確に評価するためには、WAIS-Ⅳなどの知能検査が必須となりますが、日常臨床で簡単にできる検査ではありません(検査に2時間程度、結果をまとめるのに2時間程度を要します)。境界知能をとらえるのに、本人の学歴・偏差値などがひとつの指標となりますが、それも正確ではありません。本来不得手である勉強について、本人が頑張り屋さんで必要以上に限界まで勉強を頑張ってしまうと偏差値の高い学校に入学することができるからです。また本人も家族も勉強が不得手であると薄々は気付いているものの、それを認められず、「家族も叱咤激励⇒本人の限界を超えた努力⇒偏差値の比較的高い学校」という流れが生まれます。しかし仮に上位の学校に進学したとしても、そのような無理は長続きできないことが多いです。結局は勉強や周囲との会話その他もろもろについていくことができず苦しくなり、うつや不安を始めさまざまな精神症状を呈する結果になります。またこころの問題としては、過度に自己肯定感が下がることにもつながるため注意が必要です。

様々な精神疾患の背景にあり、疾患が難治化しやすくなる

精神科で扱う疾患は適応障害以外にも多岐にわたります。不安障害、強迫性障害、うつ病、双極性障害、神経発達症、PTSD、解離性障害、統合失調症・・・。精神科における診断・治療の流れは、精神症状を聴取しICD10(最近はICD11)、DSM-5という診断基準に照らし合わせて、診断を下し、その診断に合わせた薬物治療や心理療法が施行されるという流れです(そのような診断方法を操作的診断といいます)。これらさまざまな精神疾患の背景にあるものとして見落としがちなのが境界知能という視点です。特に精神疾患が難治化している場合に注意が必要となります。ICD10やDSM5に境界知能の記載がないため精神科医もきちんと評価・検討できない、あるいは気にしていないことも多いです。

自分の思いや考えを言語化することが不得手なケースの場合、リストカット・過量服薬などの行動化がみられることもあります。操作的診断では、境界型パーソナリティ障害と誤診されてしまうこともあります。またメタ認知が不得手であるため、自己を客観視することができず、認知行動療法などの心理療法も難しいことが多いです。SNSなどの情報にも影響されやすく、人に騙されやすいこともあり酷い目に合うこともあります。結果として不安、うつ、パニックなどの症状を呈し、操作的診断でうつ病となり通院することになります。両親が同様の特性を抱えている場合に、家庭内DVなども発生しやすくPTSDを始めとしたトラウマ疾患を抱えることにもなりがちです。

居場所がない

医療機関ではいかんともし難いテーマですが、精神疾患や精神症状の改善にとって本人の「居場所」の有無は非常に重要な要素となります。現在ちょうど総選挙の時期ですが、政治家の方々・国民全体で考えて頂きたいテーマです。居場所があれば特に医療や福祉は必要ないケースが多いと考えられるからです。

境界知能の方々は本来勉強や頭脳労働が不得手で、就労という点では、サービス業よりは農林水産業・工場労働・建設業などが向いていると考えられます。また女性の場合、専業主婦などが向いております。自営業など自分のペースでできるものも向いております。

以下のグラフはここ60年位の有業者産業別構成比の推移です。

上のグラフのように第一次産業(農林水産業)及び第二次産業(鉱工業・建設業・製造業)は衰退して年を追うごとにその割合が減少しており、逆に全体の75%弱が第三次産業となっております。神奈川県に至っては、第一次産業の割合は0.8%とほぼ0%に近い状況です(東京都は0.4%)。

また以下のグラフは専業主婦世帯と共働き世帯の推移です。ここ10年位、つまりアベノミクスが始まってから急激に専業主婦世帯が減少しております。

これらのグラフから分かることは、農林水産業、鉱工業、製造業がどんどん日本から失われており、頭脳労働中心の社会が形成されているという事実です。そのような社会構造の中で頭脳労働に向かない方々の居場所がどんどんとなくなっております。

さらなる経済成長のために、より付加価値の高いサービス業中心の社会になるのは先進国共通の現象です。また女性の社会進出についても、男女平等という観点もありますが、政府としては経済成長という点で重要です。経済成長を追求することは総論としては正しいと考えますが、社会構造の変化のスピードがあまりに急激なため、それについていけない人たちが様々な精神疾患に罹患するという副作用を生んでおります。これは非常に嘆かわしいことです。女性の社会進出といいうのは大事なテーマですが、頭脳明晰で優秀で体力もある女性にとっては歓迎される一方、弱い立場の女性の存在への配慮も必要と考えます。

以上、境界知能に関係した問題点をいくつか上げさせて頂きました。境界知能の方々の世界観・心理を理解するヒントとしては、言葉が全く通じない、習慣も全く異なる外国に移住して頑張って生活するという状態を考えると想像しやすいです。周囲で話されている会話の内容が十分に理解できず、つい分かっているふりをして愛想笑いをするかもしれません。馬鹿にされて笑われてもきちんと言い返せず、パニックを起こし辛い思いを抱え自分は何をやってもダメな人間と考えるかもしれません。また生きているだけでストレスがかかりうつ状態に陥る可能性も高いです。

社会構造の変化は問答無用にすすんでいくため、居場所問題の解決は非常に難しいというのが現実です。このような厳しい環境下ではありますが、以下のような点に注意すると多少は生きやすくなると思いますので参考にして下さい。

・自分自身の特性や知能ついて、できる限り早期に把握すること。

・自分の能力以上の辛い環境に身をおくことを避け、不要な精神疾患の罹患、自己肯定感低下を防ぐこと。

・辛い環境でも社会参加、就労を目指し、引きこもりは避けること。

・努力は必要ですが、過度な努力は避けること。

・周囲(特に家族)は本人の特性や能力を理解し、適切な対応をすること。過度の叱咤激励、過度の保護的対応・寄り添いは避けること。

・周囲に理解されないことも多いのですが、自暴自棄にならないこと。

・被害妄想にならないように注意すること。

・必要なら障害者手帳を取得し、障害枠就労も検討すること(境界知能という病名はないので他の精神疾患の併存が必要です)。

・学歴にこだわらないこと。

・SNS上の批判的言動は気にしないこと、無視すること。

・人に騙されやすいのことを意識し、身近に信頼できる人・相談できる人をもつこと。