お知らせ
高校生のカウンセリング
2024年7月30日
当院では心理士による高校生へのカウンセリングもおこなっております。ここでは、高校生でよく見られるお困りごとを例に挙げて、カウンセリングの中でどう扱っていくことが多いかについてまとめております(文責 心理士鈴木)。
もちろん、同じ高校生といってもそれぞれ困りごとの背景やその時の感情、考えていることは異なります。以下の内容を基本として、その方に合ったやり方を一緒に考えていきたいと思います。
①支援における大まかな方向性
・環境調整や仕組み作り
基本的に感覚(五感)に関する困りごと(例;教室や街中の騒音がうるさい、電車の中の匂いがきつい)については、慣れていく・克服していくことよりも、そのような環境に身を置く必要性を減らしていくことを優先します。例えば、ノイズキャンセリングを使うことや、教室内での席を配慮してもらうことが挙げられます。幼少期から感覚に関する困りごとを抱えてこられた方の場合、ご自身なりの対処法をいくつか身につけていることも多いので、それらを活用することもあります。
「なぜか分からないが気分によって学校へ行けないことがある」、「面倒くさくてお風呂に入れない」などについては、生活を構造化するという仕組みづくりが大切です。登校や入浴の重要性を理解してもらうことも大事ではありますが、ご本人にとってはそれを重々理解した上で、それでも「面倒くさい」・「何となくやる気がでない」が上回ることが多いのではないかと思います。そのため、調子が良い時にだけ出来そうな仕組みではなく、何も頑張らずに自動的に出来るルーティンを作っていくことが大事です。その際には、現時点で何も考えずに自動的に出来ていること(例;勉強や入浴は出来ないが、食事は自主的に取っている)に注目し、分析して考えていくことが有用です。
・不完全な自分をそのまま受け入れる練習
高校生などの思春期は、他者と自分の違いを見つめながら人間理解を深める時期です。そのため、そもそも他者と比較することで落ち込みやすい時期であると言えます。内面的な比較だけでなく、勉強や外見などについても、他者と比較し、競争心や劣等感、恥の感情を抱きやすいです。
実際には、他者より劣っているから劣等感を感じるというよりも、理想とする自分と現実の自分との間に大きな差があるため劣等感を感じやすいと考えられます。他の人よりも上手く出来ないなと感じて落ち込んだときや、皆の前で間違えて恥ずかしい思いをしたときに、「だいぶしんどいけど…まぁ仕方ないか…」と致命傷を負わない程度にスルーするスキルを身につけることが大事だと考えています。現実の自分を見て足りない部分に気づいたときに、足りない自分のまま過ごす練習とも言えます。
このような心の動きは、花粉症等のアレルギーと似たものだと考えると分かりやすいかもしれません。免疫機能自体は自身を守るために必要なものではありますが、これが過剰になると本来無害な刺激に対しても反応し、その結果逆に自分を傷つけてしまいます。心の動きも同様に、恥をかくことや他者より劣っていると自覚することは自分が傷つけられるため、「もっと努力してこんな思いしないようにしよう」「最初からそのような場面を避けよう」という防衛反応(免疫機能)があらわれます。完全無欠・完璧を目指すことは無菌状態を目指すのと同様で、適切な免疫機能を維持出来ず過敏になり、傷つきやすくなることにつながります。今一度、自身の防衛反応の強さや、無菌状態を目指していないか見直すことが大切です。
以上が、支援の大まかな方向性です。多くの高校生が悩むトピックとしては、次のようなことが挙げられます。
②人間関係(クラスや部活など)
・皆の目が気になる、嫌われていないか不安になる
過剰に気をつかったり、相手に合わせて本来の自分らしくないキャラに変え過ぎて疲れたりする方がいらっしゃいます。誰かに陰口を言われていないか気になり、直接誰かから言われたことがなくても「皆は優しいから言わないけど、心の中では自分のことを嫌だと感じているかもしれない…」と、周りの人の表情、特に視線に対してネガティブな意味を持たせて解釈する方が多いです。
悪口・陰口を言われたとして、そのことがご自身にとってどのような意味を持つものなのかを深ぼっていくことが大事です。「誰に」、「どんな場面で」、「どういうこと」を言われるのを最も避けたいのか、またその場面が実際に起こるとどんな嫌なことがあるのかを明確にしていきます。そうすることで、自分がどういう側面に関して“こうありたい”という理想の自分を優先しているか、つまり現実をそのまま見ることが出来ていないかを理解しやすくなります。
・周りに合う人がいない
趣味などが他の人たちと合わず、話していてもどこか楽しくないと感じることが多い方は、周りはキラキラした高校生活を送っているのに自分はそうではないことを悲しく思うこともあるかもしれません。特に学校生活では集団行動が前提となっているため、どこのグループにも属さず1人で過ごすことは浮いてると捉えられることも多いです。
グループで楽しそうにしている人たちを見ると、自分は楽しくない時間を過ごしてせっかくの青春を無駄にしている感じがすることもあるかもしれませんが、グループに属したら属したで別の悩みが生じることがほとんどです。自分と合わない人を「苦手な人」とするのではなく、「好きでも嫌いでもない人」と捉え、必要最低限の会話は特に何も思わず出来るようになることを目指しても良いかもしれません。制限が多く自分には合わないストレスフルな環境だからこそ、自分は何が好きで何が嫌いか、何をしたいと思っているかを意識できる貴重な機会でもあると考えています。様々な視点から自分の価値観を豊かに耕す時期として過ごすことも、有意義な時間の過ごし方と思います。
③授業(発表やグループワークなど)
・発表が嫌、緊張する
授業でランダムに当てられて答える場面や、最近ではグループ活動で意見を言い合い、それらを代表者が皆の前で発表する場面が多く、複数人に注目されることで緊張される方が多くいらっしゃいます。これについても、どうなる場面を最も避けたいと考えているのか(例;皆の前で間違える、笑われる)を深掘ることが大切と考えています。その中にはもしかすると、下記のように「頭が悪いと思われたくない」という気持ちが大きいかもしれませんし、あるいは特定の人・内容に対して限定的に反応しているところがあるのかもしれません。
また、1対1だと話せるものの、複数人だと皆が話している内容を理解できない、ついていけないと感じることがある場合も考えられます。話し声や物音が雑多にある環境下で必要なものを選択的に聞くことが難しいときや、それぞれの文章の意味は分かるけれどもそれらを繋げて長く話されると理解しづらいと感じる場合などには、環境調整が大事になります。
・頭が悪いと思われたくない
受験で力を発揮できず希望していなかった学校へ通うこととなった場合、また希望していた学校へ通えていたとしても周りの学力レベルが高くついていくのが難しいと感じている場合のどちらにおいても、「頭が悪いと馬鹿にされたくない」という気持ちが生じると想定されます。中学生までは周りよりもテストの成績が良かったものの、高校で環境が変わり、成績が相対的に低くなった際には、自分のこれまでのアイデンティティが失われたように感じることもあるかもしれません。「頭が良い」ということが自分の強みであると強く信じていたけれども、そうではないかもしれないという一種の喪失感に襲われる気持ちが背景の一つとしてあることが考えられます。
自分自身のことを流動的あるいはスペクトラム(連続体)的なものとして捉えることを意識してみても良いかもしれません。キャラ的に「私は“頭が良い”/“優しい”/“怒りっぽい”人だ」と自分にラベル付けして捉えると、その他の側面を「これは自分のキャラではない」と切り捨てていることになります。そのようにして情報量が少なくなると、かなり限定的な自己像になり、そうではない側面が見えた時に「自分には何もない」と喪失感を感じやすくなります。実際には、クラスで明るいいわゆる陽キャの人がため息をついて悩むことや、誰にでも優しい人が特定の人を内心バカにして接していることはよくあります。またこれらは時期によっても異なります。人には多様な側面があり、自分にもまた同じように多様な側面があると認識できるようになると、勉強面など一つの側面に固執することが少なくなっていくと考えられます。