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高校生の診療に関すること

高校生のカウンセリング

当院では心理士による高校生へのカウンセリングもおこなっております。ここでは、高校生でよく見られるお困りごとを例に挙げて、カウンセリングの中でどう扱っていくことが多いかについてまとめております(文責 心理士鈴木)。

 もちろん、同じ高校生といってもそれぞれ困りごとの背景やその時の感情、考えていることは異なります。以下の内容を基本として、その方に合ったやり方を一緒に考えていきたいと思います。

①支援における大まかな方向性

・環境調整や仕組み作り

 基本的に感覚(五感)に関する困りごと(例;教室や街中の騒音がうるさい、電車の中の匂いがきつい)については、慣れていく・克服していくことよりも、そのような環境に身を置く必要性を減らしていくことを優先します。例えば、ノイズキャンセリングを使うことや、教室内での席を配慮してもらうことが挙げられます。幼少期から感覚に関する困りごとを抱えてこられた方の場合、ご自身なりの対処法をいくつか身につけていることも多いので、それらを活用することもあります。

 「なぜか分からないが気分によって学校へ行けないことがある」、「面倒くさくてお風呂に入れない」などについては、生活を構造化するという仕組みづくりが大切です。登校や入浴の重要性を理解してもらうことも大事ではありますが、ご本人にとってはそれを重々理解した上で、それでも「面倒くさい」・「何となくやる気がでない」が上回ることが多いのではないかと思います。そのため、調子が良い時にだけ出来そうな仕組みではなく、何も頑張らずに自動的に出来るルーティンを作っていくことが大事です。その際には、現時点で何も考えずに自動的に出来ていること(例;勉強や入浴は出来ないが、食事は自主的に取っている)に注目し、分析して考えていくことが有用です。

・不完全な自分をそのまま受け入れる練習

 高校生などの思春期は、他者と自分の違いを見つめながら人間理解を深める時期です。そのため、そもそも他者と比較することで落ち込みやすい時期であると言えます。内面的な比較だけでなく、勉強や外見などについても、他者と比較し、競争心や劣等感、恥の感情を抱きやすいです。

 実際には、他者より劣っているから劣等感を感じるというよりも、理想とする自分と現実の自分との間に大きな差があるため劣等感を感じやすいと考えられます。他の人よりも上手く出来ないなと感じて落ち込んだときや、皆の前で間違えて恥ずかしい思いをしたときに、「だいぶしんどいけど…まぁ仕方ないか…」と致命傷を負わない程度にスルーするスキルを身につけることが大事だと考えています。現実の自分を見て足りない部分に気づいたときに、足りない自分のまま過ごす練習とも言えます。

 このような心の動きは、花粉症等のアレルギーと似たものだと考えると分かりやすいかもしれません。免疫機能自体は自身を守るために必要なものではありますが、これが過剰になると本来無害な刺激に対しても反応し、その結果逆に自分を傷つけてしまいます。心の動きも同様に、恥をかくことや他者より劣っていると自覚することは自分が傷つけられるため、「もっと努力してこんな思いしないようにしよう」「最初からそのような場面を避けよう」という防衛反応(免疫機能)があらわれます。完全無欠・完璧を目指すことは無菌状態を目指すのと同様で、適切な免疫機能を維持出来ず過敏になり、傷つきやすくなることにつながります。今一度、自身の防衛反応の強さや、無菌状態を目指していないか見直すことが大切です。

以上が、支援の大まかな方向性です。多くの高校生が悩むトピックとしては、次のようなことが挙げられます。

②人間関係(クラスや部活など)

・皆の目が気になる、嫌われていないか不安になる

 過剰に気をつかったり、相手に合わせて本来の自分らしくないキャラに変え過ぎて疲れたりする方がいらっしゃいます。誰かに陰口を言われていないか気になり、直接誰かから言われたことがなくても「皆は優しいから言わないけど、心の中では自分のことを嫌だと感じているかもしれない…」と、周りの人の表情、特に視線に対してネガティブな意味を持たせて解釈する方が多いです。

 悪口・陰口を言われたとして、そのことがご自身にとってどのような意味を持つものなのかを深ぼっていくことが大事です。「誰に」、「どんな場面で」、「どういうこと」を言われるのを最も避けたいのか、またその場面が実際に起こるとどんな嫌なことがあるのかを明確にしていきます。そうすることで、自分がどういう側面に関して“こうありたい”という理想の自分を優先しているか、つまり現実をそのまま見ることが出来ていないかを理解しやすくなります。

・周りに合う人がいない

 趣味などが他の人たちと合わず、話していてもどこか楽しくないと感じることが多い方は、周りはキラキラした高校生活を送っているのに自分はそうではないことを悲しく思うこともあるかもしれません。特に学校生活では集団行動が前提となっているため、どこのグループにも属さず1人で過ごすことは浮いてると捉えられることも多いです。

 グループで楽しそうにしている人たちを見ると、自分は楽しくない時間を過ごしてせっかくの青春を無駄にしている感じがすることもあるかもしれませんが、グループに属したら属したで別の悩みが生じることがほとんどです。自分と合わない人を「苦手な人」とするのではなく、「好きでも嫌いでもない人」と捉え、必要最低限の会話は特に何も思わず出来るようになることを目指しても良いかもしれません。制限が多く自分には合わないストレスフルな環境だからこそ、自分は何が好きで何が嫌いか、何をしたいと思っているかを意識できる貴重な機会でもあると考えています。様々な視点から自分の価値観を豊かに耕す時期として過ごすことも、有意義な時間の過ごし方と思います。

③授業(発表やグループワークなど)

・発表が嫌、緊張する

 授業でランダムに当てられて答える場面や、最近ではグループ活動で意見を言い合い、それらを代表者が皆の前で発表する場面が多く、複数人に注目されることで緊張される方が多くいらっしゃいます。これについても、どうなる場面を最も避けたいと考えているのか(例;皆の前で間違える、笑われる)を深掘ることが大切と考えています。その中にはもしかすると、下記のように「頭が悪いと思われたくない」という気持ちが大きいかもしれませんし、あるいは特定の人・内容に対して限定的に反応しているところがあるのかもしれません。

 また、1対1だと話せるものの、複数人だと皆が話している内容を理解できない、ついていけないと感じることがある場合も考えられます。話し声や物音が雑多にある環境下で必要なものを選択的に聞くことが難しいときや、それぞれの文章の意味は分かるけれどもそれらを繋げて長く話されると理解しづらいと感じる場合などには、環境調整が大事になります。

・頭が悪いと思われたくない

 受験で力を発揮できず希望していなかった学校へ通うこととなった場合、また希望していた学校へ通えていたとしても周りの学力レベルが高くついていくのが難しいと感じている場合のどちらにおいても、「頭が悪いと馬鹿にされたくない」という気持ちが生じると想定されます。中学生までは周りよりもテストの成績が良かったものの、高校で環境が変わり、成績が相対的に低くなった際には、自分のこれまでのアイデンティティが失われたように感じることもあるかもしれません。「頭が良い」ということが自分の強みであると強く信じていたけれども、そうではないかもしれないという一種の喪失感に襲われる気持ちが背景の一つとしてあることが考えられます。

 自分自身のことを流動的あるいはスペクトラム(連続体)的なものとして捉えることを意識してみても良いかもしれません。キャラ的に「私は“頭が良い”/“優しい”/“怒りっぽい”人だ」と自分にラベル付けして捉えると、その他の側面を「これは自分のキャラではない」と切り捨てていることになります。そのようにして情報量が少なくなると、かなり限定的な自己像になり、そうではない側面が見えた時に「自分には何もない」と喪失感を感じやすくなります。実際には、クラスで明るいいわゆる陽キャの人がため息をついて悩むことや、誰にでも優しい人が特定の人を内心バカにして接していることはよくあります。またこれらは時期によっても異なります。人には多様な側面があり、自分にもまた同じように多様な側面があると認識できるようになると、勉強面など一つの側面に固執することが少なくなっていくと考えられます。

進学校の生徒のこころの問題

 学歴・偏差値への過度のこだわりが招く弊害については、以前より様々な所で指摘されております。20年程前に一定期間導入された「ゆとり教育」などがそのアンチテーゼとして存在した時期もあります。当院に通院する高校生の内、何割かはいわゆる進学校(有名大学への合格実績を重視する学校)に通学しておりますが、「勉強」に関する悩みとそれに付随する精神症状が比較的多いという特徴があります。過剰や勉強や自分が他者より劣っているという苦悩の結果、脳が疲弊してうつ状態になり来院されております。うつのレベルとしては軽いうつ状態(気分変調症や適応障害レベル)が多いのですが、慢性化していることが多いです。またうつ病にまで発展し薬物治療が必要になる方もおられます。不安障害・強迫性障害などを併発してくる方もおられます。

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 背景は様々ですが以下のようなものが考えられます。

①学力

 進学校は授業の進みがそもそも早いのが特徴です。中高一貫校の場合、中学校で高校1年の課程まで終わる学校も多いです。さらに本人がもともとぎりぎり無理をして入学した学校であった場合、地頭のレベルが追い付かず、無理をして勉強を頑張らないとついていけないということがあります。

②性格

 大きく分けて完璧主義・結果主義でこだわり・執着が強いケース、真面目で素直に周囲のいうことを真に受けてしまうケース、神経過敏で他者を必要以上に意識してしまい疲弊するケースの3つのパターンがあります。偏差値・成績という数値化されるものへの親和性、人の話を真に受けてしまう幼児性などから神経発達症の傾向が背景としてあることがあります。またもともと遺伝的に強迫症や不安症の素因が強い場合もあります。

③学校・予備校

 進学校や予備校では進学実績が学校経営上重要となります。進学実績を上げるため過度に生徒間の競争を煽る、宿題を過剰にだす、より上位の大学への進学を促すなどの方法がとられます。また学校は同年代でかつ学力が近い均質性の高い集団であり、制服で姿形を似せられ、閉鎖空間でもあるため、様々な思想・教義がより洗脳されやすい環境ともいえます。学校での勉学は意識的か無意識的か不明ですが、宗教上の修行と共通点があります。髪を剃る、服装を揃える、力のある教祖の存在、人里離れた閉鎖的な場所での修行などなど学校と修行との共通点はいつくもあります。学校は集中する学びの場としては適しておりますが、宗教と似通ったその環境の特殊性をより客観的な広い視点でとらえなおすことが重要です。

④家族

 考え方が柔軟で視野が広い、視点が高い場合は問題ないのですが、価値観がせまく視点が偏っている場合は問題になりやすいです。親自身が学歴コンプレックスを抱えている場合優秀すぎる場合親の親(つまり本人からしたら祖父母)から同様の圧を受けて育った場合神経質で不安が強い場合など問題化しやすいです。また医師家系、公務員家系、慶應家系など家系的に一族が高偏差値で同質化している場合にも注意が必要です。その家系に適応的であったり、不適応でも本人のエネルギーやキャラが強く異なる道を切り開いていければいいのですが、勉強ができず他にこれといった飛びぬけた特性がない場合は家に居場所がないと苦しむことになります。

 以上のような様々な要因が複合的にからみあって、偏差値・学歴・成績という単一の評価尺度に執着し視野狭窄に陥り、過度な努力を重ね、人によってはうつ病にまで至る方がおられます。このようなケースの方が来院された場合に抗うつ剤を使うことも多いのですが、偏差値・学歴・成績の呪縛から一定の距離をとる作業も重要となります。人によっては心理カウンセリングなども有効なことがありますが、周囲にバランスのとれた思考や行動で生きているテキトー笑で模範的な大人がいると頼もしい限りです。

意味のある「良いアドバイス」をするために必要なこととは? - ライブドアニュース

 以上のことを踏まえてのアドバイスを以下にまとめます。

①偏差値・学歴という尺度の意味や意義を再考して下さい。

 学歴の意味については様々な考えがありますが、一般的には就職のために一定の学歴が必要となるという背景があります。より収入の高い、安定した会社への就職という意味で学歴には確かに意味があります。またそれなりのレベルの人との人脈を築くことも可能となり将来活躍の場が広がる可能性があります。このような理由で学歴が大事なのは至極全うなのですが、過ぎたるは及ばざるがごとしで過度な場合は注意が必要です。周囲が東大に進学しているからといって東大にこだわる学生がおられますが、就活という意味では早慶などのレベルの大学と大差ないのが現状です。東大出身でないと就職できない会社はむしろほとんど存在しないし、むしろ東大卒という色眼鏡でみられて損をすることもあり、名前が重荷になることもあります。大企業への就職という面ではGMARCHでも十分に可能で、入社後の出世については本人の能力以外に健康、運、コネ次第といったところです。

 一時的な自尊心や他者からの評価・承認のために大学名にこだわり苦悩するのは全く合理的ではありません。もちろん特別やりたい学問があり、そのためにどうしても東大や京大に行かないと行けないという人がいれば別ですが、そのような人はほとんどいないのが実際の所だと思います。

 また社会にでた場合に勉強ができる、真面目というのはその人の評点の一側面であり、優しさ、柔軟さ、怒らないなどの人間性、こころに余裕があることやコミュニケーション、対話能力なども仕事をしていく上では重要となります。勉強ができすぎると周囲に無用な警戒感を与える可能性があり、過度な学歴が逆に足を引っ張る可能性があることも認識することが重要です。例えば某大手企業に新入社員として東大卒の人が入った場合、東大不合格になった早慶卒の上司がいた場合、無意識的に東大卒の人を疎外する、出世を邪魔する、いじめる可能性があります。人間の性(さが)ともいえ、どうにもならない心理です。本人に圧倒的な能力があれば別ですが、大した能力がないにも関わらず大学名だけ東大であった場合に、大きくマイナスに働く可能性があることはきちんと想定した方がいいかと思います。

②自分の属する集団の特殊性・偏りを理解してください。

 同一世代、同一の性(共学でない場合)、似通った価値観、バックグラウンド、同程度の学力、家庭環境の人の集団で一緒に数年にわたって過ごすことの特殊性への理解が必要です。そのような集団の中で、自身の見方・捉え方に一定の偏りがでる可能性があることは十分予想されます。学歴教という宗教に洗脳されないためには、客観的でより広い視点で自身の置かれた環境をとらえなおし、メタ認知を日々きちんと意識し生活することが重要です。

③先生の意見も半分信じて半分信じないで下さい。

 予備校・学校の先生の意見については受験界隈のステークホルダーなので我田引水的な可能性があります。本人の特性を考えての進路指導よりも高校や予備校の実績や利益を重視しがちです。大したことでないのに、大げさにいうこともあります。特に素直な学生さんは先生の話を真に受ける可能性があるので注意が必要です。先生も1人の人間であり、頭の硬い人性格がねじ曲がった人人格的にやばい人など様々で、間違った予測や判断をすることもあります。また生徒本人にとって何が正しい選択なのか分からないことも多いです。他人を信用して信用しないという成人した後に必須なスキルを訓練するいいい機会と考えるといいかと思います。

④結果ではなく過程を重視して下さい。

 偏差値・学力重視の欠点の1つに結果重視であるいうことがあります。努力した過程を評価する基準があまりないため、分かりやすい点数での偏差値評価、つまり結果重視ということになってしまいます。結果重視のよくない点として社会にでると結果がでないことが沢山あり、それに一々一喜一憂していては心身がもたないという事情があります。医療においても様々な要因から、医療者がいくら頑張っても治療が上手くいかないことは多いです。高齢者医療についてはいかに上手く負けるかが問われます。上手い負け方(患者の苦しまない死に方)を日々模索するわけです。結果ばかりを気にしていては仕事そのものが成立しないし、続かないです。

 また結果にこだわると無駄な力が入るため本人のパフォーマンスが落ちる可能性があります。オリンピックや試験本番でもメダル候補とか絶対受かるとかいわれると逆に余計な力が入って緊張してしまい力が十分に発揮できず失敗してしまうわけです。

 さらに結果重視の場合、失敗を恐れるあまり新たな分野にチャレンジできないマインドを生みやすい土壌となります。30年以上停滞する日本とチャレンジ旺盛で経済成長する海外との差がさらに開くことは容易に想像できます。

 また結果の成功・失敗だけにこだわると生活そのものが楽しくないのも事実です。結果がでるのには時間もかかるし成功の喜びも一時的なものです。過程や経過は長期にわたり持続的なものです。経過を楽しむというようにマインドセットを変えれば、より長い期間人生を楽しく生きることが可能になります。

 さらに今の勉強できる環境そのものに視点を移すといいかと思います。中東のガザ地区のように生きるか死ぬかの環境にいた場合、そもそも勉強できる環境ではありません。勉強できる機会があるだけでありがたいと感謝することで、結果へのこだわり・執着はちっぽけなものになります。

⑤自己肯定感を無駄に下げないで下さい。

 無駄な競争とはいいませんが、過度な競争で勝った負けたで疲弊するだけならまだしも、競争に負けた結果、自分はダメな人間であると必要以上に自己肯定感がさがっている方がおられます。自分がダメな人間であるとスキーマレベルで落とし込まれるととなかなか修正できず、生きづらさが将来にわたって継続してしまい人生に大きな禍根を残す可能性があります。一つの例をしては東大や医学部を目指していたのに合格できず、他大学にせっかく進学したのにそれを楽しめず無為に過ごす人などです。自己否定が強い(逆説的ですが自負心が強いともいえます)ためエネルギーがうっ滞し、気力もわかず、無駄に留年を繰り返すことになります。

⑥本当の勝ち負けは神のみぞ知る。

 ダーウィンの進化論は優生思想でよく利用される理論ですが、自然界では例外が多いことも最近は分かっております。進化論とは適者生存で強い者が生き残るということが理論の中心なのですが、自然界では弱い個体もさまざまな工夫を凝らして子孫を残しているようです。猿に例えると弱いオスは、強いオスのボス猿の目を盗んでメス猿と交尾をして、ちゃっかり子孫を残しているようです。子育てはもちろんボス猿がやってくれますので弱いオス猿はお得なフリーライダーです笑。自然界全体で考えた場合に、弱い個体の遺伝子を残すことも種全体が生き残るのに必要なのでしょう。一方的な偏りに対する戒めともとらえることができます。このように適者生存という理論も完璧なものではなく、いい加減なものです。強いボス猿を目指すのもいいのですが、弱い猿として賢く立ちまわる能力も社会で楽に生きるコツかと思います。このように一見負けていると思われる個体の方が、総合的にみたら勝っている可能性も頭の片隅にいれておいた方がいいと思います。

 また「人生万事塞翁が馬」ということわざも、なにが成功でなにが失敗かについて人間レベルで判断できないという教訓を残しております。勝ち負けや成功・失敗に対して一喜一憂せずニュートラルな姿勢でいるための大事な視点です。

 それでも勝ち負けに執着するのであれば、成績や偏差値できちんと負けることが重要です。人生は長いので、今後生きる中で多くの負けや失敗を繰り返すのが一般的です。自分が失敗していなくても、会社や家族の失敗の責任を問われることもあります。負けることに慣れていないと、大きな失敗をしたときに立ち直れず、自分の命を絶つまで至ることもあります。人生早期に上手く負けることに慣らしていくことは、それがワクチンのような効果を生み、大きな失敗をしても大したダメージとならない柔軟で強靭な心身を作ることにもつながります。

⑦100年先を想像して下さい。

 自分も含めて周囲の人、全員がすでに死んでいます。色々なことがどうでもよくなるので、今が辛いときはかなり先のことを意識するのもいいかもしれません。


学校での「グループワーク」の乗り切り方について

 以下、心理士鈴木の記事です。学校生活でよく起こるトラブルについての記事となります。

 当院では、高校生や大学生の方も多く来院されていますが、授業や講義の中で、アクティブラーニングの一つとしてグループワークが実施されていることが多いようです。このようなグループワークでは、座学での勉強とは異なり、複数名で協力して調べ学習や資料の作成、発表を行うことが求められます。そのため一般的な授業スタイル以上に緊張したり、参加を尻込みしたりされる方が多いです。

 グループワークが苦手な場合、基本的にはそのようなスタイルを取らずに、一人で黙々と勉強できる環境作りを行うことが第一選択肢だと考えています。患者様の中には、将来働く上でグループワークが出来ないと困るのではないかと心配される方もいらっしゃいますが、一人で作業できるような仕事スタイルや職種はたくさんあります。将来的な自分の生活スタイルは自分で選択できる部分も多くあり、自分に適した生活スタイルを早めに知っておくことで対処可能になるため、それほど心配する必要はないと考えています。

 一方で、学校に関しては、通信制や全日制等の選択肢はあるものの、多くの場合授業スタイルを自分に合うように都度変更することはかなりの労力がかかります。その意味では、グループワークを避けるようにすることが難しい場合が多いです。
 そのため、ここでは仕事ではなく、あくまで学校の授業の一環として単発的にグループワークに取り組む際に、過度に疲れたり自分を責めたりすることなく過ごすための方法について、項目ごとにいくつかご紹介いたします。

<グループを組むとき>

 基本的には仲の良い友達と組むことが望ましいですが、クラスに友達がいない場合やその他の理由でそれが叶わない時もあるかと思います。その時は別の仲良しグループを見つけ、そこに声をかけて入れてもらうのが良いです。

 このとき、5〜6人等の大人数で仲良くしているグループではなく、二人組や三人組等の少人数で仲良くしているグループがおすすめです。

 大人数の場合、そのグループのメンバー以外は受け付けないとしていることが多いですが、二、三人組の場合、相方がいればあとは誰がいても別にどうでもいいと考えていることが多く、またグループに入れるのを断ると自分が悪くうつってしまう等デメリットが多いため、基本的に断られることは少ないです。グループワーク中も彼・彼女らで早々と進めてくれる可能性があるため、それに同調する形でグループワークを乗り切れることも期待できます。

<グループワーク中の立ち回り方>

書記や記録係に徹する

 グループ活動に参加していながらも、それほど発言しなくても何となく許されるポジションです。
 ただ、グループワークが苦手で乗り気ではない人は多いため、そのような人の中では人気な立ち位置であることから、毎回このポジションをとれるとは限りません。そのような時は、無理にこのポジションにつこうとせず、次に示す選択肢も候補の一つとして考えてみてください。

自分で全部やってしまう

 自分だけに作業が集中する、自分が頑張ったのに成績はグループ内で均等につけられてしまう等、不条理を感じることが多いですが、その不条理さを受容するだけの価値はあると思います。
 自分で全てやってしまうことで、自分で作業をコントロールできるため、早めに作業を終えることができ、授業とは別に集まる時間を作ることもしなくて済みます。つまり、形態としてはグループでありながら、実際には自分一人でのワークに変えることで、グループワークをしなくて良くなります。

<グループワーク中のトラブルシューティング>

意見がまとまらない時 

 グループワークに対する熱量が高いグループに入ったときには、このような場面に遭遇することが多くなります。
 このような際には、機械的に折衷案を作成するのがおすすめです。この項目ではこの人の意見を採用し、次の項目では別の人の意見を採用する等、システマティックに折衷案を考えるようにしてみてください。

誰も意見を言わないとき

 これは反対に、グループワークに対して乗り気じゃない人が多いグループに入った時に遭遇することが多くなります。
 このときは「グループワーク中の立ち回り方」の②で挙げたように、全部自分でやってしまうのがベターかと思います。早く作業を終えられますし、周りも早く終わらせたいと思っているため、自分が進めていくことに対して反対する人は少ないと考えられます。

 以上、いくつかご紹介させていただきましたが、勿論クラスの雰囲気やグループワークの内容等によっても、これらの選択肢が取れる場合とそうでない場合があります。ケースバイケースで一つずつ困難を解消していく必要があることも多いため、そのような場合にはカウンセリングで一緒に考えて、より過ごしやすくするための方法を編み出していけたらと考えております。

 また、社会不安障害等で、どうしても本人の特性上グループワークが困難なケースでは、主治医に診断書(内容としては「本人の特性上グループワーク困難である」)を作成してもらうことも可能です。再診の診療時に主治医に相談して下さい。