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診療内容に関する読み物

恐怖症とスポットライト効果

 ある雑誌でスポットライト効果についての記載があり、当院でよくみられる恐怖症と関連があると思いましたので簡単に触れておこうと思います。

 自分がもっている情報や経験を基準にして、他者の考えを推測する傾向のことを「自己中心性バイアス」というようです。それは認知バイアスの一つで人間はどうしても自分中心の視点で他者を理解してしまうということを意味しております。

 自己中心性バイアスの1つに「スポットライト効果」というものがあります。自分の外見や行動について、他者も同じくらい気にしていると思い込むことです。

 当院では高校生の方の診療を行っておりますが、「人にどう思われるか」に対する敏感さが他世代より過大な傾向にあると思われます。同学年の人と長時間一緒に過ごしておりより他者と比較して苦悩しやすいこと、自分は何者かを考えアイデンティティが確立していく時期であることなどが影響していると思われます。

 精神疾患としては友人の視線に強い緊張・恐怖をおぼえる視線恐怖をはじめ、自分の体臭が臭って他者に迷惑になっていると思い込む自己臭恐怖などあり、「人、特に友人にどう思われるか」といった思考を背景に妄想的な恐怖に陥ってしまうことがあります。思春期妄想症ともいわれることがあります。

 その雑誌には「美容院に行って髪を切ってもらい、思いかけずおかしな髪型になってしまい、友人に笑われるかと思い学校に行ったところ、意外とそんなことはなく、気づく人さえいなかった・・・という経験はだれしもあるでしょう」と記載されていて、確かにそれはよくあるとことと思いました。

 思春期妄想症については、薬物治療だけでは効果は不十分であり、心理カウンセリング、特に行動実験を中心とした行動療法を当院の治療の中心にしております。妄想のレベルまでいってしまうと認知の歪みを認知再構成などの認知療法だけ対応することはできず、行動療法が中心となりますが、「自己中心性バイアス」「スポットライト効果」なる言葉やその意味を知っておくことは、治療を進めるうえで役に立つこと思いました。

苦悩が少し軽くなる方法について

 「うつについてあれこれ」を以前書かせて頂きましたが、最近の診療で人が感じる苦悩というものにもう少し焦点をあててみたいと思いました。うつ状態になると過度に悲観的になり、自責的になり本当に苦しそうであり、薬以外の方法で何とかしたいなと常々思っております(もちろん薬はしっかり使います)。

 以下に3点ポイントを書いておきます。他にも色々ありますがまだまとまっていないので今回は3点にします。

目に見えないものに配慮すること

 うつ状態の方の訴えで「あんなことができない、こんなことができない」「今まではきちんと掃除や料理できたのにできない」「仕事が思うようにできない」「とにかく何もできない」・・・など「できない」「できない」「できない」が頭の中の90%以上を占めてしまうことがあります。うつ状態であるあるの多い訴えです。そんな方々の脳のバランスを整えるために、凡庸ですが以下のような話をすることがあります。

 「歩ける」「食べられる」「目がみえる」「話せる」「聞こえる」いわゆる五体満足であることに少しでいいから配慮して下さいと。それらの身体的な機能は普段はあって当たり前と思っている方がほとんどで、失って初めてその大切さに気付くものです。「料理がちゃんとできない」という悩みも「食べられる」ことが当たり前になっているからでてくる悩みです。病気で口から食べられず胃ろうになっていればそもそも食べられず料理云々とかいうの悩み自体が存在しなくなります。「仕事が思うようにできない」という悩みも目や耳が普通に機能することが前提になっております。さらに悩めること自体についても、脳がちゃんと機能している証拠であり、よかったよかったと思えればいいですね。

 「痛み」という症状についても面白い話があります。もともと頭痛が酷い人がいて、お腹の風邪で腹痛が強い場合に普段感じている頭痛は逆に軽減してしまうことがあります。あるいは消失してしまいます。痛みを感じられるというのも1つの部位が限界であり、2つの部位以上の痛みを感じることは人間は不得手です。意識の向け方の問題ともいえるかもしれません。悩みについても然りで、大きな悩みや苦悩があれば、より小さい悩みは軽減または消失することがあります。歩けなくなるなどの仮定でもいいので、大いなる悩みに意識を向けることが重要です。五体満足でありがたいと毎日1回は考えるだけで他の悩みをより軽くとらえることが可能かもしれません。

 このように悩みはとらえ方によって変化するものですが、生活している国や地域、性別、年齢、職業、身体的な病気の有無、今いる場所(職場・学校)などによっても変化しきわめて相対的なものです。家族関係を含む対人関係にも大きく左右されます。よって悩みや苦悩は深刻になることもあれば軽減することもあり無常であることが真実です。

 お金や土地と違って目に見えない無形資産ともいえる五体満足に少しでも配慮ができれば、頭の中の「できない」「できない」「できない」といった偏った主張が「あ、これはできてよかった~ラッキー」となってその「できない」「できない」の脳内割合が50%くらいに落ちてくれればいいですね。

価値判断を脇に置くこと

 心理士の先生のコラムにもありましたが、人生万事塞翁が馬は真実だと思います。当院では10歳台~80歳台の沢山の方が通院されておりますが、皆様のお話しを参考にすると、一見、不運に思えたことが幸運につながったり、その逆だったりすることが多々あります。幸運か不運かは容易に判断しがたい、という厳然たる真実に気づかされる毎日です。

 受験で失敗したからこそ、自分の身の丈にあった中学や高校に進学できてのびのびと勉強できて精神的に落ち着いていられるとか。会社をパワハラで退職になっても、その会社自体が消滅して退職させられて逆によかったとか。若いことはイケメンや美人であっても年をとっていくとそれを失う苦しみがより強いので、一概にイケメンや美人がいいとも限らないとか。

 ~したら幸運、~したら不運というのは往々にして間違うと気づけるといいですね。結果はわからないのです。

 家庭環境で不遇な目にあったとして、ダークサイドに落ちてしまう場合もありますが、その苦難が生き方や仕事に生かされる場合もあります。他者への愛情や慈悲の心が生まれるきっかけになることもあります。さらには美しい芸術作品を生むこともあります。

 人間の価値判断はどうしても短絡的になりがちです。それは人間である以上仕方ない面もありますが、人生万事塞翁という格言をを頭の片隅において置き、何があっても一喜一憂しなことが災難からのショックを和らげるコツかと思います。

 よって、診療の中で「私はこれからどうしたらいいか」とよく聞かれるのですが、正直わかりません・・・

下ることを楽しむこと

 最近テレビで話題になった海外某大学の先生のことばで「(日本の)没落そのものを楽しみましょう」というのがあり、いいことばだと思いました。

 一般的には上昇すること、上がることが評価されがちですが、次の発展や上昇のために落ちること・没落は必要であることは歴史が証明しております。近世のルネサンスも中世の暗黒時代やペストの被害があったからこそといわれております。恐竜が滅亡したからその後の哺乳類の進化、人類の誕生につながったのです。春夏秋冬の変化などは体感的に理解できますね。寒くなるから暑くなる。破壊と再生は本当は等価(同等の価値)であると考えられます。

 下るという視点は年齢を重ねると誰もが味わう気持ちですが、自然や歴史をみれば下ることに対して過度に悲観的になることはないと理解できます。理解するのが難しければ、自虐ネタにして笑っちゃうのがいいと思います。具体的には長寿番組の「笑点」では、貧乏、年寄りをネタに出演者みんな楽しく笑ってます(最近はコンプラコンプラとうるさいですが・・)し、やや古いですがヒロシというお笑い芸人の自虐ネタも非常に面白かったです。

 以上、勝手なことを書いてきましたが自分自身もできていないことばかりであり、日々の心がけが大切と思い診療にあたっております。

心理士コラム①

心理士沓名のコラムを紹介します。生き方・考え方の参考にしてみてください。

 最近話題になっている宇宙飛行士候補の米田あゆさんは、

 「失敗を失敗で終わらせない。自分の決断や選択をする際、悩むことはすごく大事。悩んで決断した後、振り返った時に、あっちが正しかったかな、こっちが正しかったじゃなく、自分が歩んだ道を正しい道にする努力をしなさい」と研修医の先生から言われたそうです。

 私たちは、生きていく上で、選択や決断を繰り返して今の生活に至っています。選択や決断が迫られた際には、できるだけ、正解、正しい道を選びたいと思うものです。そして、うまくいかないことに直面すると、「あの時のあの決断が間違っていた」「あの時のあの行動が失敗だった」と過去の自分を恨めしく思うこともしばしばあるでしょう。時には、過去の出来事についても、「あれで良かったのかな」「別のやり方があったのではないか」と自ら間違い探しをすることもあると思います。そのような思考に陥った際に、米田さんのお話には、ハッとさせられるものがあります。

 私たちは、学校での○×式のドリルや試験等を通して、「世の中には唯一の正解がある」「間違えてはいけない」という感覚を思いのほか刷り込まれていると、痛感させられることがしばしばあります。そのような感覚でいると、「そういう考え方があるのか。試してみよう」という発想を持ちにくく、1回の間違いで失敗したと思いがちです。一方で、学校生活から離れ社会に出ると、何が正解かわからない、模索しながらなんとか道筋をつけてやっていくしかないという場面に、しばしば遭遇することでしょう。その際は、試行錯誤して、少しづつより良いと考えた方向へ決断し、進んでいくしかないこともあります。間違えることを恐れることから抜け出せないと、なかなか前に進むことができません。また、ようやく決断を下しても、「それは合っているよ」という誰かのお墨付きがないと不安に感じてしまうこともあるでしょう。

 世の中の変化が激しい昨今、今までのモデルが参考にならなくなってきています。その際、過去の決断も現在の決断も、思い悩んだ末の選択であれば、あとは米田さんのお話んあるように、未来に向かって「選んだ決断を自分にとって正しいものにする努力」をできたら良いですね。人間万事塞翁が馬、最後の最後までその努力の結果はわかりません!